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どうもどうも堂本ツヨシヨワシのヨワシです、などと誰の得にもならぬ冗談(話しかけられて入力中断)(中断終わり)を、ええとなんだったけな、そうだ誰の得にもならぬ冗談を申し上げてすみませんと書きかけて(もう書いたけど)、いやいやこれは個人の日記だもの別に誰かに奉仕、換言すればサービスするために書いているのでは無いのだから別に申し訳ないがる必要は無いのだと、ジャストナウ、考え直したわけです。さらにそもそも最近考えているのは、なんでこんなに文章を書くのが自分は億劫に思うのか、けっして書くのが嫌いなわけではないのになぁと煩悶したりしていたわけですが、自分なりに考えてみた結果、どうも「正しい文章」というものに怯えているんだということがわかって、ああそうかと、考えてみればこれは個人の日記で誰かに奉仕するために書かないのであれば、別に正しい文章を書く必要は無いんじゃないかと、そう思ったわけです。正しい文章ってのは読みやすさへの配慮というか文章のデザインルールなわけで、それはうん、サービスだと。つまり文章を書くにあたってお金をもらったりとか、理解してほしいとか、すごいと思ってほしいとか、好きになってほしいとか、そういう報酬と交換するために、あるいは社会に貢献したいというボランティアのために、読みやすい文章、つまりデザインされた文章を提供するサービスを行うわけで、すると対価や貢献を求めなければ別にサービスしなくていいんじゃないかと、頭痛が痛いと書いたり、「たり」が一回しか無くてダメとか、そういった正しさみたいなものからちょっと自由になってみようかと思って、それから本当に自由になれるのだろうか、ちょっと試してみようということでいま書いている。ですます統一も無視して。単に読みにくい文章を書くなんてのは、まあひとりよがりになる可能性は大なわけですが、このあたりあと3つくらい付随して思うことがあって、1つは個人の日記で、酔狂で書く、とするなら読む方も酔狂でよろしくという、つまり読みにくさ=悪では必ずしも無いのではないかと。実は、いま意識して書き起こし文のように書いているけれど、本当はポッドキャスト的に音声でブログ更新しようかと思った、そうすれば聴く方のハードルも上がるので、語るも酔狂、聴くも酔狂、でいい感じのハードルができるのでないか、そうすれば個人の日記に変なこと言われることも避けられるのではと思った、思ったけれどもいざマイクに向かってみようかと思うとどうも気恥ずかしいので折衷案としてこうしている。そんで(そいで)(それで)2つ目はブログってTwitterと比べて一般的に書くのが大変だし、なんで大変なんだろうっていうことを考えつつ、もしかすると書きづらいのは歴史的理由に寄るんじゃないかという仮説、このあたりはまったくの私見だけど、紙以前の時代は、不特定多数に向けたひとかたまりの文章を書くのはもっぱらプロで、プロはもちろんサービスをするからプロなので、正しい文章を書くのが求められる。それが当たり前になってしまっていて、ネット以降の個人の日記なんかでも文章は正しくなきゃいけないという思い込みにつながっているのではないか、そのあたりの当たり前をちょっと疑ってみたいという気持ちもある。もちろんジュウゼロの話ではなくて、読みやすさも大事だ。けれど誰もが書き手の時代なんだから「書きやすさ」の方にもちょっと視点を置いてみてもいいんじゃないかなあと思って視点を置くことにしてみる。Twitterは歴史的束縛がなくて、かつ構造が本当に優れていて書き手と読み手が対等だからサービス意識が求められないので、すごく書きやすいんじゃないかと思っている。まあ多くの人はそんなに日常、長文で思考しなかったり、「あ」と思う気分は一瞬だから、というのもあるだろうけど。うーん、でも一方で多くの人がブログを始めて、そのなかの結構な人が挫折をする(僕もそうだ)。そこには何か、ブログに対するニーズ、あるいは憧れなのか、何かこう求めるものがあって、でも始めてみてもしんどくなったり習慣にならなくてやめてしまうのは、そこにやめた人に共通する問題がありそうで、ボトルネックを知りたいという関心も動機になっている(と思う)。だいぶ長くなってしまってここまで読んでる酔狂な人がいるのだろうかと思いつつ、3つ目は、情報だけじゃないな、ということに気づく機会があって、先日ラジオ番組の書き起こし文を読んで、まあ面白かったけど、それからそのラジオ音源があったので聴いてみたところ、さらに圧倒的に面白かった。得られる情報、知識は一緒なんだけど、言い回しの抑揚とか間とか笑い声の感じとか「えーと」とか「あー」とか「うんうん」とか、そういったところがやっぱり面白いんだと思った。落語もそうだけど、語る内容が面白いという上に、語り口が面白い、グルーヴが心地よいといった面白さがあって、そのあたりで「意味はないけど味がある」というフレーズがポーンと浮かんで、あ、そうか、そこチャレンジしてみるのは無謀にも面白いと思った。そんなこんなで、そしたら、なんか散乱して考えていたことが散乱したまま、あれ、これ一つの地図じゃないかな?となって、うーん地図じゃなくて染みの可能性もあるけどなぁ、という気持ちもありつつ、まあ進んでみるか、という酔狂で書き進めていまふと気づけば、2200字を越えて書いている、原稿用紙5枚半。