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通底するのは感謝とリスペクト

こんにちは。はてなディレクターアドベントカレンダー2016の20日目を担当するid:sawaccioと申します。昨日はid:shiba_yu36による「ディレクターを経験して良かった」でした。
(彼がディレクターを担当したチームに私も所属していましたが、仕事の進め方など、とても勉強になりました。私も彼のもとで働けて良かったです。)

はじめに

私は現在、はてなのプランナーとして、サービスの機能策定や進行管理に務めています。これらはディレクターが役割を担うことも多いですが、私の立場においては、企画がもたらす価値を最大化させることに責任を持ち、その実現のために遂行しています。

今回のテーマは「ディレクター」です。そこで、プランナーとディレクター、ともに共通するトピックを挙げてみようと思いました。どちらの職種も、それが単一のロールならば、不可欠なのはメンバーの協力です。ゆえに、プロジェクトの達成のみならず職務を長く果たし続けるためにも、コミュニケーションへの配慮が必要であることは言うまでもないかもしれません。
この記事では、仕事のコミュニケーションについて、共に働く人々の振る舞いから学んだ、私が意識している心がけを書いてみたいと思います。

通底するのは感謝とリスペクト

さて、いま話題のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』ですが、私も御多分にもれずハマっています。いよいよ本日が最終回。楽しみでもあり、寂しくもあり・・・。このドラマを欠かさず視聴してきたなかで、心に残った言葉がありました。

「どんな仕事も、感謝とリスペクト」

第7話で、主人公・森山みくりに、伯母の百合さんが言ったセリフです。書き出してみれば陳腐にも感じられるかもしれませんが、印象に残ったのには理由がありました。

心に浮かんだのが「はてなの組織」です。はてなには、とりわけ対話を大事にする文化があります。それは、頭ごなしの指示や安易なルール化を避け、各自の働きやすさを追求するためです。この意志に通底するのも「感謝とリスペクト」ではないか。そう思いました。お互いを尊重し、配慮しあい、感謝しあう姿勢があってこそ成り立つと言えるからです。
はてなの企業文化については、私が百万言を費やすよりも人事・総務部長によるインタビュー記事の方が確実にお伝えできるでしょう。お読みいただけたら嬉しいです。
swri.jp

心がけていること

それでは、「感謝とリスペクト」の姿勢は、実際の仕事とどう関わるのでしょうか? はてなにいて気づいたこと、それは第一に、働きやすい職場は、組織の整備だけでなく個々人の振る舞いによって実現される。第二に、それらの振る舞いは、職場の雰囲気づくりのみならずプロジェクトや日常の業務をスムーズに進める上で大きな効果を発揮する。この二つです。
この気づきを通して、コミュニケーションの際には、共に働くメンバーの振る舞いをお手本とした以下の心がけを意識するようになりました。

  • 「自分の考え」を「自分」から切り離す
  • 目的や課題を見つめる
  • 強い言葉を使わない
  • 相手の事情を酌み、杓子定規で済まさない

それぞれを説明していきます。

「自分の考え」を「自分」から切り離す

自分の考えに執着し、相手の意見を軽んじてしまう心の偏りは、なぜ起きてしまうのでしょうか? 自分自身、この傾向が強くありました。自分の方が物事を見通せており持論は正しいのだと思い込む、そのような傲慢さを抱えていたことを告白します。また、持論の否定を自分の人格・能力の否定ととらえて身構えたり、さらには、あらためて考え直す手間を面倒だと感じてしまうといったネガティブな姿勢もあったと思います。持論に執着して無闇に相手と議論を戦わせた結果、感情的なしこりが残ったり、後に持論の綻びが判ってばつが悪い思いをしたりといった負の経験を重ねました。

「自分の考え」を「自分」から切り離すことは、相手の意見を尊重して受け入れるための準備です。会議の席やチャットツールでのやりとりの様子から、しなやかに上手く物事を前進させられる人達には、自分の意見に固執しない共通性があるようです。きっと自らの考えも、相手の考えも、議論のテーブル上に対等に並べているのだろうと想像します。お互い持論に固執して紛糾させるよりも、物事を人から切り離して議論する方が健全であり、プロジェクトにとっても、それは正しい意見を選ぶための方法として適切でもあるでしょう。
また、副次的な効果もありました。持論が間違っていた場合でも自分の否定とイコールではないと考えて、心の健康を守りやすくなりました。
いまは「自分は持論をえこひいきしやすい」ことを自覚し、執着へのブレーキが働くよう心がけています。

目的や課題を見つめる

自分と同じく相手も人間ですので、間違った意見を出すこともあるでしょう。互いに意見が異なっているときに相手を尊重しながら議論を進めるにはどうしたらよいのでしょうか? はてなで学んだ方法は、相手に向かって反論するのではなく、プロジェクトの目的や課題を見つめながら考えを伝えるというやり方です。相手の意見にNOを示すことは、気をつけていても相手の心情にさわってしまうものです。そこでは、やみくもに相手を否定したり持論をぶつけたりせず、目的や課題を根拠として意見に客観性をもたせ、相手の理解を得られるよう努めることが肝要であると学びました。

これは心がけのみならず、具体的な行動も可能です。例えば、出し合った意見を壁に付箋で貼ったりホワイトボードに論点や情報を整理したりして、お互い対面しないよう、共に見つめる場所をつくって話をする手法があります。これにより対立構造が緩和し、目的や課題を見つめた話がしやすくなります。会議等で実践し、その効果を感じています。

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめること

サン・テグジュペリの言葉は、仕事の上でも、そうなのだと思います。

強い言葉を使わない

テキストでも口頭でも、相手の意見に異を唱えるとき、負の感情を込めた強い言葉にならないよう気をつけます。つい使ってしまいやすいのが、

「◯◯なんかではダメです」
「どうみたって◯◯じゃないですか」
「◯◯はありえないですよ」

といった、非難や拒絶の意を含ませた表現です。例えば上の「なんか」といった表現は、相手の利にならず、例え正しい意見だったとしても、ぶつけられた相手は心情を害するでしょう。
言われた相手がどう思うだろうと気を配るほかにも、「はたして自分がお手本とする人達がするような言い回しだろうか」と事前にチェックしてみることがあります。「○○さんだったら、どう意見するだろう」と想像することにより、客観的な視点も得られます。

相手の事情を酌み、杓子定規で済まさない

相手を尊重するためには、まず「それぞれには、それぞれの事情がある」ことを念頭に置く必要があります。価値観や立場の違いによって物事の重要性は違います。また、出てきた意見や事柄がプロジェクトの目的や進め方にそぐわないものだったとしても、杓子定規で片付けるべきでない場合もあるでしょう。それは、ユーザーさんとの関係、中の人間として守るべきブランド、パートナーからの信頼、共に働く相手への配慮など、プロジェクトを超えた大事なことが、たくさんあるからです。

はてなの文化は先に述べたとおり、頭ごなしの指示や安易なルール化を避け、ひとりひとりを尊重するモットーがあります。現場でのやりとりにおいても、企画を進めていく上でも、この信念に沿っていきたい。そう考えています。

はてなでは、一緒に働く人を募集しています。はてなの文化や働き方に興味や関心を抱かれた方は、ぜひエントリーをご検討ください。 hatenacorp.jp

明日の担当は、ディレクターのid:kyabanaです。

P.S. アドベントカレンダーのご紹介

はてなでは現在、3つのアドベントカレンダーを実施しています。どのカレンダーも、はてなの文化と多様性をお伝えできる内容だと思います。こちらもぜひご覧ください。

advent.hatenablog.com developer.hatenastaff.com advent.hatenablog.com

古い御札と御守を納めてきた。

家にある物を少しずつ減らす取り組みをしていて、それで今日は、溜めていた古い御札や御守を返納することにした。返納の仕方を調べてみると、寺のものは寺に、神社のものは神社へ納めれば、別の寺院や神社でも良いことがわかった。山梨など遠い寺院の御守もあったので助かった。あわせて、紐が解けてバラバラになってしまった数珠も供養しようと思い、各所を巡ってきた。

 

まずは今宮神社へ行った。神社の御札や御守を、古札納所(というらしい)に返納して、参拝した。人はまばらで、落ち着いた雰囲気だった。

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次は寺院の御守を返納するため、今宮神社から近い金閣鹿苑寺へ向かった。こちらはオフシーズンながらも多くの拝観者で賑わっていた。わかりやすいシンボルがあると強い。金閣を映す鏡湖池の側に返納箱があって、そこに寺院の御守を返納した。観光地の高いテンションに包まれながら、銀行で税金を納めるような用事で来た自分は贅沢だと思った。自撮り棒の普及も感じた。

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それから数珠の供養に、きぬかけの路を進んで仁和寺に向かった。道中では、明日に控えた京都マラソンを準備する光景があった。アップダウンが激しくカーブが多く、そして景色が素晴らしいコース。数珠は、仁和寺の公式サイトに「受けられないものもある」と書かれていたので供養を断られても仕方ない覚悟でいたけれど、住職さんの御厚意で、お焚き上げまで預かっていただけることとなった。大変に有難かった。御殿を拝観し、金堂を参拝した。春になったら御室桜を見に、もう一度来ることができたらいいなと思った。

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猫たんぽ

ジム帰りは体がポカポカして、道中に汗ばむことすらあるけれど、今日は流石に寒かった。氷点下の気温らしい。そりゃ冷える。布団に入ったら、猫もすぐに潜り込んできた。お腹のところで丸まってくれて、いい感じに暖かい。ゴロゴロ音を聴きながら寝ます。おやすみなさい。

大山崎山荘美術館

夢見が悪く疲労して目覚めると雨の音。うんざりして今日はもう寝ていようと布団に沈むも、素直に眠れず。

ふと、mineさんが言っていた展覧会のこと、思い出した。

 


志村ふくみ―源泉をたどる│企画展のご案内│アサヒビール大山崎山荘美術館

 

写真で見た作品、素人目にも美しかった。美術館のレトロな建物も懐かしい。行こう。

起きると、合わせるかのように天気が変わり、部屋に光がさした。不思議だった。

 

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大山崎山荘美術館は、家から車で一時間の場所にあり、ドライブにも良かった。車から降りて美術館へと歩く道のりも、緑が多く楽しめる。

 

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美しい着物を眺める良い時間を過ごせた。

着物にも芸術にも詳しくない素人なりに感じたのは、音楽っぽさ。色の重ね方が拍や残響を成して、部分で見ると音色、全体で見ると一つの曲のような印象を受けた。下の記事に写真がある最新作の「フローラ」は、ピアノロールを思わせ、今にも音が鳴りそうだった。

着物・帯、独自の美 紬織の人間国宝、志村ふくみさん企画展 : 京都新聞

 

 

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大山崎山荘美術館は、山荘の趣きを壊さないよう、控えめに設計された安藤忠雄氏の建築もある。コンクリートの質感は、むしろ洋館の風情を一層ひきたてる役割をしていて、固有の価値が生まれている。

 

車に戻ると、雨粒がフロントガラスを叩きはじめ、にわかに本降りとなった。不思議な天気だった。

僕も80人の異性(芸能人)を列挙してみようと思った

とても面白かった!ので、僕も同じルールでやってみました。いざリストアップし始めると、想像以上に名前が出てこない……長くなったので、興味のある方は「続きを読む」で、どうぞ。

続きを読む

納会

今日は東京オフィスの皆さんが京都に集結して、いつも以上に社内に活気があった。

夕方から納会。僕も、いい会社だな、すごい会社だな、と思った。

さむい

今週のお題「さむい」

 

ここ数日は暖かく、いつもどおりの冬着で自転車に乗ると汗をかくほどだったが、昨夜からまた寒くなった。

寝るときは布団に湯たんぽならぬ、猫たんぽがやってくるので暖かい。しかしなぜか朝になると必ず足の上に移動している。重いけど冬なので仕方ない。

 

「さむい」で思い出した。20歳くらいの頃からずっと、どれだけ寒い真冬でも、風呂の最後に必ず冷水のシャワーを全身くまなく浴びて体を冷ます習慣がある。そのことはまた機会があれば書こう。

日常(副題︰高級感はどこへ消えた?)

帰省したときに貰ったカニを茹でた。

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殻剥きに失敗し、高級そうな佇まいが消滅した。 

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力及ばず申し訳ない気持ちで食べた。味は素晴らしかった。

 

ビール飲みながら流星ワゴンの第2話を見た。MOZU、ダブルフェイスを観ているせいもあって、まだ配役に慣れない。そもそも無理があるような気もする。でもテーマがテーマなので来週も観る。

 

日常

晴れの休日。起きて洗濯、掃除。

喫茶店で昼ごはん。ジムで運動。

 

猫にブラッシング。あいかわらずコロコロでなでると大いに満足する。

最近、右の目頭が赤い。朝晩二回、濡れティッシュで拭いて様子を見ている。痛そうな仕草は見られず、いつもどおり元気ではあるので、何事もなく治ってくれると良いのだけれど。

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足場とワームホール

会社の事で詳しくは書けないけれど「生きていると、こんなこともあるものなんだなあ」と思える、個人的な出来事があった日だった。

広告業界から遠く離れて歩き続け、さまよい、漂っていたら、突然ワームホールを突き抜けて、とてつもなく強力な磁場へ。でも浮足立ったら、その足をすくわれて転び、立ち上がれなくなるような。そして、少し前までの自分だったら、浮足立っただろう。


最近、自分は変わったなと感じる。
創作への誤った執着心に気付いて捨てたとき、心の中で暴れていた嵐が止んだ。止んで初めて、嵐が吹き荒れていたことに気づくほど、長い間、自分が見えていなかった。


心をリセットして、そして今日の出来事が起きた。
さて、どうするか。地に足つけて、考えよう。